弁護士のブログBlog
三島由紀夫にとっての青春
- 2026-03-20
一昨日の読売新聞「編集手帳」は、心に刺さった。

<私たちは若さのなんたるかを知ることなく少年時代を去り、結婚の意味を知らずに結婚し、老境に入るときですら、自分が何に向かって歩んでいるのかを知らない>
ときたかぁ…
昔、中学時代、3年最後の国語の授業で、青春について、女性教諭から「青春とは、無限の可能性を秘めながら、その可能性を惜しげもなく、葬り去ってしまうのが青春だ。」という趣旨のことを言われたことを思い起こした。
そのときは、「春秋に富む」これからの若者に対し、「なんちゅーことを言うか!」と心底怒りを覚えたが、その女性教諭(実は、私の後輩弁護士の母親)が引用した名言が正しかったことは、既に数十年も前に実感している。
さて、その女性教諭の上記「名言」は、いったい誰の言葉で、出典は何? とフト頭をよぎった。
そこで、AIに相談してみると、わずか数秒で…
(回答)
「青春とは、無限の可能性を秘めていながら、その可能性を惜しげもなく葬り去ってしまう時期である」という趣旨の言葉を残したのは、三島由紀夫です。
1.小説『豊饒の海』第二巻『奔馬』より
「青春とは、……それは無限の可能性を秘めながら、その可能性を、一刻一刻、惜しげもなく、みずからの手で葬り去ってゆくことではないだろうか。一つの行動を選びとることは、他の何万という行動の可能性を殺すことだ。人は生きるにつれて、自分の可能性の死骸の山を築いてゆくのだ」
出典: 三島由紀夫『豊饒の海』第二巻「奔馬」(新潮文庫、1970年など)
2.エッセイ『私の遍歴時代』より
「青春の特権とは、……自分が何ものでもありうるという、あの愚かな、しかし輝かしい錯覚にある。しかし、人は年をとるにつれて、自分が何ものでもありえないことを知るようになる。……一つを選びとることは、他のすべてを捨てることだという残酷な真理に直面する。青春とは、いわば、自らの可能性を一つずつ処刑していく儀式のようなものである」
出典: 三島由紀夫『私の遍歴時代』(中央公論社、1964年/ちくま文庫など)
3. 対談『尚武の心と不敵の笑い』より
死の直前に行われた、作家・村松剛らとの対談でも、三島はこの持論をより鮮明に語っています。
「二十代というのは、自分が何にでもなれると思っている時期だね。しかし、実際には、その可能性を惜しげもなくドブに捨てているようなものだ。……一つのことをやるということは、ほかの可能性を全部殺すことなんだ。だから、青春というのは、じつは非常に残酷な浪費なんだよ」
出典: 三島由紀夫・村松剛 ほか『尚武の心と不敵の笑い』(1970年/新潮社『三島由紀夫対談集』所収)