北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「亭主元気で留守が良い」は,もはや時代錯誤か。

「亭主元気で留守が良い」という標語は,大日本除虫菊株式会社のCMのコピーから広がった,1986年(昭和61年)の流行語である。もとより当該コピーは,当時の日本社会では,家庭内に「専業主婦」が鎮座する世帯が多数を占めていたことが前提にある。

 が,くしくも上記同年男女雇用機会均等法が施行され,平成11年には,男女共同参画社会基本法が施行された。「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」(同法第2条)と定義づけされる「男女共同参画社会」が「国民の一般意思」とされたのだ。近時は,「イクメン(育men)」,「専業主夫」などもめずらしくなくなってきた。わが法曹界でも女性の進出・活躍には眼を見張るものがあり,裁判所でも女性3名を構成員とする合議体も,珍しくなくなってきた。
 このような日本社会の趨勢においては,「亭主元気で留守が良い」という標語が成立しえた時代,言い換えると,家計の原資となる労働・勤労を全面的に夫に委ね,妻が「夫から」給与を召し上げ,独占的に「経済的、社会的及び文化的利益を享受(搾取?)」できた時代は終焉を迎えた,といえそうだ。

 が,真に,すべての男性国民,女性国民がそれを望んでいたのだろうか?

 といえば,個人的には,疑問であると思っている。多数意思には違いないかもしれないが。
 少なくとも子どもにとっては,学校から自宅に帰ると,(お父さんではなく!)「お母さんが,ニコニコと,『手作りのおやつ』を作って待ってくれて居る。いつでも,話しを聞いてくれる。」といった家庭の方が格段に良かったに決まっている。また,日本経済の衰退傾向,労働環境=就労条件の悪化,子育ての大変さを考えると,やはり昭和時代の「分業」社会にも,なお一定の合理性があるように思えてならない。むしろ,男性(夫)一人では,「家庭経済」を支えきれなくなってきているのが,日本社会の現実・実情ではないか。

私が学生時代に耳にした,― 今から約30年以上も昔であるが ―,
次に紹介する小話は,既に「過去」,まるで「大昔の夢物語」のようだ。

1.小話その1:「結婚は,『馬券を買う』ようなもの」だってぇ?

WADASUの高校時代(2年),ある保健体育の教諭(女性)が授業中に言い放った。
「女性にとって,結婚は,『馬券を買う』ようなものです。私が選んだ『馬(=夫)』には,家族のために,頑張って走り続けてもらわないと困る!!」と。

 

2.小話その2:『ベンツさん』のこと

WADASUの高校時代の友人(男性)の知人(女性・京都大学法学部卒)は,京都大学出身の某学者とお見合いしたときに,相手の男性から「ボクは,…(高学歴・高収入)…だから,車に喩(たと)えれば,『ベンツ』のようなものだな(キミにとって,乗り心地がいいよ。)。」と言って,彼女を口説いてきたそうだ。
 彼女の方は,即座に見合い話を断り,その男性は,以後,彼女の周囲から『ベンツさん』と呼ばれるハメになったそうだが…。
 「エリート意識」丸出しが,鼻についたのであろうが,今や,現在の日本社会では,よほどのボンボンでない限り,上記のような口説き文句のいえる日本男児は,ほぼ壊滅状態といえよう。

(参考資料)

(内閣府男女共同参画局のホームページより)

 

(厚労省のホームページより)

 

理念は美しいが,実情はどうなんだろうか??

家庭に「孟母」がいてもいなくても,子どもは,スマホ・ゲームに熱中するばかりか。