北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「法科大学院制度」は,何故「破綻」するのか。 *追記あり

法科大学院「制度」は,必然的に破綻する(否,既に破綻している)。

法科大学院制度が,「法曹養成制度としては」既に破綻していること自体は,
次の諸事情から明らかであろう。
①「法曹離れ」が絶望的に進行している,
②法科大学院数の約半数が廃校・募集停止に至っている,
③最高の合格率を誇った法科大学院(京都)でも,予備試験組の合格率に劣後している,
④新人法曹のレベル低下が公然と唱えられるようになってきている,等々。

何故に破綻したのか。

その理由は,「制度の根幹(本質)」において「致命的な欠陥」が内在するからである。
法曹養成制度としての「法科大学院制度」に内在する欠陥については,
既に論じ尽くされた感はあるが,私自身は,その「致命的な欠陥」については,
大きくは,二つに集約されると思う

 以下で述べることを正直にブログに書くと,全国の法科大学院関係者から,「何を偉そうに,無礼な!!」という叱責・非難が囂々と飛んできて,たちどころに「炎上」することは必定であろう。
 しかしながら,私自身は,これまでの法曹実務経験,さらには旧司法試験での受験経験,旧司法修習での諸経験等から,いくらでも反論できる自信があるし,私の下記の論旨に対し,まともな批判ができる論者など殆どいないであろう。仮にそのような論者が現れたとしても,ごくごく一部の学者・法曹に限られるものと踏んでいる。

既に出遅れた感はあるが,「制度としての」「法科大学院制度の破綻理由」について,以下に整理しておきたい。
「制度としての」を強調するのは,個々の法科大学院や,その構成員たる個々の教員らを個別的に批判する意図など全くないからである。ただし,「法科大学院制度の設計者」ら個人・個人に対しては,激しい怒りを覚える。)

第1に.「『資格ある』教員を確保できない」という問題がある。

 法科大学院の教員は,「研究者」教員(法律学者)と,「実務家」教員(本業は裁判官・検察官・弁護士)に分けられるが,

 まず,「研究者」教員の圧倒的多数は,難関の旧司法試験に合格していない。
 したがって,「研究者」教員自らは,有能で厳選されれた「実務家教員」の指導のもとで,緻密・周到に構成された二年間の「司法修習」を受けた経験がないそもそも彼ら・彼女らは,裁判実務の経験もない。それ故,彼ら・彼女らは,専門分野の論文研究や,判例には習熟しているかもしれないが,「裁判実務の経験も実績もない」のであって,そのような「机の上の知識だけの」「研究者」が,真の裁判実務を教えられるわけがない。(これに対し,法科大学院は,「裁判実務」を教えるばかりではない,という反論が考えられるが,そもそも法科大学院制度は「法曹実務家養成」を目的とした新システムであるから,そのような反論は自己矛盾であるし,「裁判実務」に直接役立たない法律学・法理論は,本来は,「大学法学部」で教えるべきことである。)

 次に,実務家教員の方はどうか。
 なるほど有能な実務家が,「篤志家」として法科大学院の教員に抜擢された例がないわけではない。しかしながら,旧司法試験制度のもとでの司法修習における実務家教員のレベルと比べたらどうか。「全国平均的には」お寒いものがあるのではないだろうか。地方の法科大学院では,地方裁判所・地方検察庁に配属された判事や検事が法科大学院に出向して教鞭をとる例が殆どであろう。しかしながら,真に有能な判事・検事は,「司法研修所の」教官を命じられるであろうし,本業の裁判・捜査をそっちのけで,司法試験に未だ合格していない,この意味で,未だ「海の物とも山の物ともつかぬ」学生(院生)のために,「法曹養成」に専従させてこられたか?といえば,疑問であろう。弁護士教員についていえば,少なくとも,一流の裁判実務をこなしている弁護士,この意味で,真に「教員資格」のある弁護士は,法科大学院で教鞭をとっている「暇」などないはずだ。裁判実務の経験を積んで,司法業界で活躍する弁護士は,各依頼者の期待を双肩に担い,責任感をもって日々裁判準備に追われているので,仕事の片手間に「法科大学院に出かける」なんて中途半端なことができるはずがない(せいぜい,司法研修所にて,2年ないし3年間程度,教官を務めるのがせいぜいであろう。これに対し,弁護士が一旦,法科大学院の教授に就任すれば,定年まで講義と裁判実務を兼務することになる。)。多くは,「旬」を過ぎたか,もともと「暇」だった弁護士が,自らの「名誉」欲の充足といった自己満足を得るために,教員就任を承諾したに過ぎなかったのではないか。
 それでも,旧司法試験と旧司法修習をパスし,一定程度の実務経験を積んだ実務家教員であれば,自らのキャリア・執務時間の「甚大なる犠牲」のもとに,それなりのことを「ど素人」の「院生」相手として,教鞭をとることもできたであろう。しかしながら,徐々に法曹資格者のレベルがさがってきているという現実を目の当たりにすると,いよいよ「資格」ある実務家教員を確保することなど至難の技となってきているのではないか。

 

第2に,「法曹(特に弁護士資格)の価値の暴落」を必然的に惹起する。

 「教官・教鞭の質」の問題には,ひとまず目をつぶろう。
 しかしながら,それでも,所期の法曹養成制度としての「法科大学院制度」を維持しようと思えば,志望者が集まらなければ話にならない。ところが,最早,「弁護士」は,苦労してめざすような職業ではなくなってしまった。また,高額の学費(プラス生活費)を要し,お金のない親のもとで育った「苦学生」が通学できるような教育機関でもない。年間2000名前後の司法試験合格者を出し(法務省の方では,向こう約5年間は,司法試験合格者を年間約1500名に抑える方針のようだが,既に手遅れである。),弁護士の数を激増させて,「法曹資格の価値」,「弁護士資格の価値」を下落させてしまったことで,必然的に,「法曹離れ」が絶望的に進行する。「法科大学院卒」がステータス(status)ではなく,今や,「予備試験では司法試験に合格できなかった」という「スティグマ(stigma)」(“負の烙印”)とされてしまったことで,誰が,積極的に法科大学院を目指そうか。

 かくて,法科大学院制度は,「制度としては」既に破綻している。

 

 このほど,平成3 0 年3 月1 3 日,文科省の諮問機関である,中央教育審議会大学分科会・法科大学院等特別委員会(座長・井上正仁氏)は,「法科大学院等の抜本的な教育の改善・充実に向けた基本的な方向性」と題して,「法学部から法科大学院を通して5年間で修了できる仕組み」を整備・確立する方針を打ち出した。

 しかしながら,このような制度は,もはや「法科大学院制度」とは異質な制度である。
 換言すれば,当該制度は,「大学法学部」の「延長・変革」であって,「法科大学院制度」の「放棄」に他ならならない。そして,このような小手先の司法改革・修正主義では,真の改革にはならないし,「法曹への進路選択の魅力」を高めることは不可能である(大学法学部への打撃・悪影響さえも懸念される。)。
 既に法曹価値・弁護士価値が大暴落し,「法曹離れ」が絶望的に進行してしまった現在,「新制度」のもとで(我々の世代と比べると,圧倒的に)「簡易に」法曹資格を得た弁護士が,商業主義に走り,社会に溢(あふ)れかえる如くに,はびこっており,「社会派のマチ弁」達の経済基盤を浸蝕して,その経済基盤を奪ってしまったことで,かつての「秩序ある法曹養成のプロセス」の前提が壊滅的に破壊され,もはや回復の見込みがないからである。

法科大学院等特別委員会の座長である
井上正仁氏(東京大学名誉教授,現・早稲田大学大学院法務研究科教授)は,
「法科大学院の制度設計に携わった責任者」の1人として,
全国民・全法曹の前で,真摯に謝罪すべきであり,その上で,座長を辞任して,後任(旧司法試験のもとでの実務経験を豊富に有する者が望まれる。)にその地位を譲るべきだと思う。

 

*追記
上村達男センセイへ

法科大学院制度を中核とする法曹養成制度は,
 『理念倒れ』に終わった。」と,
オタクの大学の元総長・鎌田薫氏
法科大学院協会理事長,法科大学院等特別委員会・専門委員
 に対し,面と向かって,いいなはれ!!