北口雅章法律事務所

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矢勝川(愛知県半田市)周辺にみる新美南吉の足跡

 昨日(9月23日),新美南吉の郷里を訪ねて,彼岸花を見てきたことは先のブログに書いた。
 新美南吉といえば,愛知県半田市出身で,日本を代表する児童文学作家として知られる。

彼の数ある名作の中では,「ごんぎつね」と,「でんでんむしのかなしみ」は,「日本人の教養」として必修事項であろう。
 半田口には,新美南吉記念館があり,彼の業績・生涯を知ることができるが,
昨日も,「きつね」と,「でんでんむし」は,何かと目についたので,紹介しておきたい。

1.「でんでんむし」が田んぼに描かれていた。

予想完成図は,こちら(↓)。雨の滴は,うまくいかなかったもよう。

 

2.「きつね」のお面を売る出店を,今年初めてみかけた。

白地のキツネ面を購入して,好きなように色塗りできるコーナーが設けられていて,

奥の方では,御上さんが,売れた数だけ,キツネ面の色塗り版を補充すべく,色塗りしている。

 

3.公園の遊具が,「でんでんむし」と「きつね」のモチーフになっている。

 

ちなみに,

皇后陛下・美智子様は,第26回国際児童図書評議会(IBBY)ニューデリー大会(1998年。インド)にて,「子供の本を通しての平和--子供時代の読書の思い出--」と題して基調講演をされ,その講演録(全文)が,宮内庁のホームページに載せられているが,この中で,「でんでんむしのかなしみ」が取りあげられている。

 

これも,いわば「日本人の常識」として,紹介しておきたい。

曰く「…まだ小さな子供であった時に,一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことがありました。不確かな記憶ですので,今,恐らくはそのお話の元はこれではないかと思われる,新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」にそってお話いたします。そのでんでん虫は,ある日突然,自分の背中の殻に,悲しみが一杯つまっていることに気付き,友達を訪(たず)ね,もう生きていけないのではないか,と自分の背負っている不幸を話します。友達のでんでん虫は,それはあなただけではない,私の背中の殻にも,悲しみは一杯つまっている,と答えます。小さなでんでん虫は,別の友達,又別の友達と訪ねて行き,同じことを話すのですが,どの友達からも返って来る答は同じでした。そして,でんでん虫はやっと,悲しみは誰でも持っているのだ,ということに気付きます。自分だけではないのだ。私は,私の悲しみをこらえていかなければならない。この話は,このでんでん虫が,もうなげくのをやめたところで終っています。

あの頃,私は幾つくらいだったのでしょう。母や,母の父である祖父,叔父や叔母たちが本を読んだりお話をしてくれたのは,私が小学校の2年くらいまででしたから,4歳から7歳くらいまでの間であったと思います。その頃,私はまだ大きな悲しみというものを知りませんでした。だからでしょう。最後になげくのをやめた,と知った時,簡単にああよかった,と思いました。それだけのことで,特にこのことにつき,じっと思いをめぐらせたということでもなかったのです。

しかし,この話は,その後何度となく,思いがけない時に私の記憶に甦って来ました。殻一杯になる程の悲しみということと,ある日突然そのことに気付き,もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが,私の記憶に刻みこまれていたのでしょう。少し大きくなると,はじめて聞いた時のように,「ああよかった」だけでは済まされなくなりました。生きていくということは,楽なことではないのだという,何とはない不安を感じることもありました。それでも,私は,この話が決して嫌いではありませんでした。」(以下,略)