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カール・シュミット著 「陸と海」入門

「カール・シュミット(Carl Schmidtt)」と聞いただけで,われわれ世代の法学徒は,近寄りがたいものを感じる。
第1に,Carl Schmidttには,「ナチス・ドイツの御用学者」というイメージがつきまとい,第2に,大学時代,国際法の講義で,大沼保昭センセイ(当時助教授。後の東京大学名誉教授)から読むように指示されたCarl Schmidtt著「大地のノモス」(新田邦夫訳・福村出版)を買って読んでみたものの,さっぱり理解できなかったという,苦い「トラウマ」があるからだ。

ところが,先日読んだCarl Schmidttの「陸と海―世界史的な考察」は,何故だか面白く読むことができた。この差は,一体,何処からくるものなのか?

 昨日,実家に寄った際,書棚から「大地のノモス」を取り上げ,一部読み返してみたところ,いろいろ考えることがあった。新田先生の原文に忠実な逐語訳では,何の素養も素地もない,素人の学生が読解することには,やはり無理があるように思われた。学生時代の私は,「意味がわからないが,何となく,重要そうだ。」と思った箇所に傍線を引いていた。例えば,「ノモスと自然(Physis)との対置は,もっとも重要なものである。ノモスは存在(Sein)から自己を切断して,存在(Sein)に対置して自己を貫徹する一つの強制的な当為(Sollen)になる。」との箇所に傍線が引いてある。しかしながら,このようなキーセンテンスの意味を理解しようと思えば,「ノモス」の意味を「言葉のイメージ」として,具体的かつ的確に理解していることが前提となる。

 ところが,その定義を論じた記述部分を探すと,・・・「ノモスとは,以後に続くすべての規律を基礎づける最初の測定(Messung)についての,最初のラウム分割としての最初の陸地取得(Landnahme)についての,また,根源的分割(Ur-Teilung,Ur-Verteilung)についてのギリシャ語なのである。」,「このノモスという言葉は,その本来のラウム具備的な(raumhaft)意味で理解されることによって,場所確定と秩序とを自己の中に統一する根本的な経過を悟らせるのに適している。」などと書かれてあるが,これでは,何のことやら解らない。

 ところが,今の私は,「学生時代に,『ノモス』の意味がわからなかった」という『経験』をもち,かつ,「『大地のノモス』に頻出する『ラウム具備的(raumhaft)』の意味が分からなかった」という『トラウマ』があるため,これらのキーワードについては,「陸と海」を読むに際しても,意識的に注意を払って読むことになる。

 すると,Carl Schmidttは,「陸と海」では,何故か「ノモス」について,分かり易く説明している。すなわち,「ノモス」については,「空間的な基本秩序」のことを指すと明確に定義づけ(171頁),「本来の真の基本秩序の本質的な核心となるのは,特定な空間的な領域の境界とのその境界設定であり,地球の特定の尺度と分割である。」といった明確な論旨を展開していることが解る。しかも,脚注では,Carl Schmidtt自らが「ノモス」の具体的な意義について,解説している。すなわち,ギリシャ語の名詞「ノモス」は,動詞「ネメイン」から派生した語で,三つの意味をもっている,具体的には, ① 「取得(土地の取得・占領,海の取得,産業的な生産手段の取得), ②「 土地の基本的な分割と分配」であり,それに基づいた所有権の秩序③「土地の使用・管理・利用であり,その生産と消費」(すなわち放牧)という三つの意味をもち,これら「取得」(①),「分割」(②),「放牧」(③)という三つの意義があらゆる具体的な秩序の基本的な概念である」と論じている。このように解りやすく意味・定義を述べてもらえれば,「ノモス」という耳慣れない「言葉」であっても,語義ないし「言葉の輪郭・イメージ」が捕捉できるので,理解は容易だ。

 一方,『ラウム具備的(raumhaft)』という場合の『ラウム』とは何か。

 「陸と海」の訳者・中山元氏は,「ラウム」(raum)について,「空間」という訳語を当てているが,実は,この「空間」(raum)の概念は,人類の歴史によって変遷してきた多義的なものである。そして,人間・人類が,どのような意識をもって,「空間」(raum)を把握してきたか,ということを論じたのが,まさにCarl Schmidttの「陸と海」なのである。ちなみに,Carl Schmidttによれば,イギリスが,スペインの無敵艦隊を破り(1588),クロムウェルがジャマイカを征服(1655)したことを端緒として,全世界の制海権を掌握したことによって,「全地球的な規模の空間(ラウム)革命」が起きたと論じられている。

 また,特筆すべきは,訳者・中山元の翻訳もわかりやすく,「訳者あとがき―解題の代えて」と題する解説も,適確だ。Carl Schmidttが,国民国家という抽象的な概念を超えて,具体的な空間的な秩序の支配に焦点を合わせた概念としての「ラウム(広域)」を提唱し,このような広域を支配する主体が,個別の国民国家を包括的に支配する「帝国(Reichライヒ)」でなければならないといった観念論を説いたところで,Carl Schmidttの当該所説が,ナチス・ドイツの「第三帝国」(=拡張主義・侵略主義)を正当化するイデオロギーとして利用されてしまった,という趣旨が読み取れる解説はわかりよい。その報い(?)として,1943年のベルリン大空襲の際,ベルリン郊外にあったCarl Schmidttの自宅も被爆して消失し,Carl Schmidttは,「焼失した家からは,大事にしていた数枚の絵をもちだせただけ」で,友人に送った手紙の中では,「私たちは,ザウアーランドに逃げて,宿なし生活を送っています」と書いていることなどの背景事情にも触れられており,微笑ましいといっては,亡哲人的政治学者に怒られるか。

Carl Schmidttの「陸と海」には,「地球を一周する航海が開発された最後で最高の〈海洋文化〉の段階…。この段階を担ったのは,ゲルマン民族だった。」という,尊大で,「鼻につく」部分もあるが,地政学的観点から世界史を読み解いたCarl Schmidttの「陸と海―世界史的な考察」は一読の価値はあるように思います。