北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

わがブログの話題関係者の相次ぐ逝去

平成22年9月に起きた尖閣諸島沖で起きた国辱事件
(海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突事件)に関して,
菅直人・首相官邸の指揮によるものと見られる中国人船長の釈放にかかわった,
同期S君(当時,那覇地検・次席検事)のことについて,先日,ブログで触れたとき,

私の念頭にあったのは,
「陰の総理(?)」としての実力をもち,
福岡高検那覇支部以下に圧力をかけたとみられる,
「仙谷由人氏(当時・内閣官房長官)の顔」だった。
検察官の訴追裁量は,「外交問題」を考慮できないから(刑事訴訟法248条),
明らかに違法である。

(関連ブログ)
平成30年10月13日投稿「夢のまた夢」
 https://www.kitaguchilaw.jp/blog/?p=4063
(参照)ブログ「『漁船』が『艦船』に激突したらどうなるか?」
 https://www.kitaguchilaw.jp/blog/?p=190

この仙谷由人・当時内閣官房長官(元弁護士)が,このたび逝去された。

それにしても,享年72歳は,早過ぎる。
故人に鞭打つのはよろしくないが,
「尖閣諸島沖事件」での,仙谷・当時内閣官房長の判断とみられる,アノ判断は,「法=正義」をねじ曲げたもの(枉法)であって,私は,やはり今でも誤った処置だった,と思っている。
それゆえに,国民の彼に対する目には,いまだ厳しいものがある。

もちろん,世代が違うので,「弁護士」としての仙谷氏が,どのようなタイプの弁護士であったか,私には知るよしもない。が,司法研修所の修習終了後20周年記念大会のとき,京都の料亭からの帰途,T教官(民事弁護)から「タクシーの中で」うかがった話として,「(仙谷弁護士は)裁判では絶対に妥協しない男だったが,ある事件の裁判で相対したことがあってね。めずらしいことに彼の方から,『T先生,和解しせんか。』と大幅に譲歩する和解案を提示してきたことがあったんだ。『仙谷弁護士の方から和解申出?? 薄気味悪いなぁ』と思いつつ,『裁判上の和解』に応じてやったら,あの男,あのあと直ぐに,弁護士を止めて,民主党から衆議院選に出馬したんだよなあ。」というエピソードをうかがい,笑ったことがある。

 

次に,10月13日投稿の前掲・ブログの翌々日(10月15日),
私は,大学時代の大沼保昭センセイ(当時助教授)の講義を思い出し,
カール・シュミットの「陸と海」を紹介した。

(参照)「カール・シュミット著 『陸と海』入門」
https://www.kitaguchilaw.jp/blog/?p=4082

 すると,なんと!,仙谷元官房長官の訃報に続けて,
大沼保昭・名誉教授(東京大学・国際法)先生まで亡くなられてしまった。こちらは,ちょっと,ショックが大きい。仙谷元官房長官と同じく,享年72歳の逝去は早すぎる。

大沼先生の論文や著作は,学生時代,結構,真面目に読んだ。
(弁護士人生には,殆ど役立たなかったが。)
大沼先生は,非常に「偏屈」だったという印象が強いが,学問的にはかなり切れるタイプだ,という当時の学生間での評価は一致していた。
例えば,日本人の殆どは,英語で論文を書くときは,英語圏に倣って,
例えば,Yasuaki.Onuma と表記する。
ところが,大沼先生は,そんな卑屈な態度ではいけない!といって,
Onuma.Yasuakiと表記される。
このような日本人の卑屈な態度を批判する大沼先生の論文(掲載誌は,中央公論だったか?)を面白く拝読したことが,思い出される。それと,大沼先生の講義で印象にあるのが,平野竜一教授(当時,東京大学総長)の「刑法」の教科書について触れたときのことだ。「平野先生の教科書は,難しくで,誰が読んでもわかりづらい。私が読んでもわかりづらい。しかしながら,頭を悩ませつつ,繰り返し読むと何となく理解できるようになる。そのように頭を悩ませつつ,読ませることで,深い理解に至る,という意味で,あの教科書は『名著』なんです。」と言われたことがある。そういうものか?と信じこんで,当時流行の大塚仁センセイ(名古屋大学教授)の教科書「刑法概説」に飛びつかず,平野説に拘った東大卒業生の中から司法試験・受験失敗者を輩出したのは,大沼先生にも責任があるのではないか?と勝手に思っている。
 大沼先生の論考を読んで「なるほど!」と思ったことは,当時の日本社会党の役割について,大沼先生が書かれていたことだ。私などは,日本社会党は,過半数を取れない「万年野党」で,「自民党の足を引っ張る」ことしか意味のない存在ではないか,と思っていたが,大沼先生によれば,日本社会党が,非武装中立論を唱えて,自民党を牽制してきたからこそ,政府与党が米国の軍拡要求を拒む口実としての利用価値があり,その分,社会福祉に国家予算を配分できたのであって,この意味で,野党としての存在意義は十分に認められる,ということを書いてみえたことだ。今の,出来の悪い「立憲民主党」とは大違いだ,ということだね。

お二方ともに,慎んで御冥福を祈ります。