北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「弁護士のお仕事」と「裁判官のお仕事」

「弁護士のお仕事」は,「農作」に喩(たとえ)られる。

「弁護士のお仕事」は,
「田起こし」(法令調査,事実調査)に始まり,
「勝てそうだ」と思った事件については,「種まき」(訴え提起)をする。
その後,セッセ・セッセと「農作物」(タネや芽)に「水」をやり,十分な「肥料」をやらないと
中途で「農作物」が「枯れて」しまい。「収穫」(勝訴・成功報酬)にありつけないこともある。

「弁護士のお仕事」(特にマチ弁の場合)と「農作」との違いは,
①「収穫」までの時間が長くかかること(裁判は,最低2,3年はかかることが多い)
②その間,「作物」への「栄養補給」(反論・反証)が欠かせないこと
といったあたりか。
「弁護士のお仕事」は,AI(人工知能)で代替できるというバカ者がいるが,
少なくとも,私の手がける医療過誤・行政訴訟など,専門的訴訟は,
熟練と戦術・戦略を要し,精神的にも非常に消耗する

 

これに対し「裁判官のお仕事」は,どのようなものか。

「昔の」「偉い」裁判官は,「真に自分の良心的結論に到達するまでとことん思案するという苦しい模索の過程」を経て,公正・公平な立場から,「弁護士も納得できる」立派な判決を書いていた。

ところが最近はどうか?

なんだか,陸上競技の「ハードル設置者」のような輩(やから)が増えてきた。
「ハードル設置者」というのは,私の造語なので耳慣れてないであろうが,
その趣旨はこうだ。

訴訟当事者(訴えを起こした,われわれ平民・庶民)は,
「弁護士」という名の「馬」に跨がって,
全力疾走し,次々に跳躍して「ハードル」を超えていく。
「馬術」は無用。
弁護士が,「法令・判例」と「経験」から,
訴訟上の「ハードル」(例えば,過失・因果関係の立証,確認の利益等の訴訟要件等)
はクリアーできる,との目算のもとに疾走してくれるからだ。
ところが,相手が公権力や,社会的権力・専門集団となると,
裁判官は途端に弱腰となるように思えてならない。
「自由心証」の名の下に,「ハードルの高さ」を自由自在に操り(「ハードル設置者」の面目躍如!)
ときに平気で,その高さを想定以上に吊り上げることもある(特に,訴訟相手が国家権力になると仲間意識が働くのか,あるいは,最高裁事務総局の「目」を意識するのであろうか。)。

裁判官が,訴訟上の「ハードル」を高くするとどうなるか?
もちろん,訴訟当事者が乗った「馬」(弁護士)は,バーに脚を引っかけ,簡単にコケる(敗訴する)。
「(政治的・社会的・経済的に)強い方」を勝たせておけば,
「大過ない」とでも思っているのだろうか?,
と,安易な判断に憤激を覚えるケースがこの頃,増えてきた。