北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「あのイラン人たち」 は,今,何処へ?

と疑問に思ったことがあったが,やはり大半の方々は,祖国に戻っていたんだ。

私が「都落ち」して,名古屋に戻った頃(平成4年),
名古屋の中心部・飲食店街にある「池田公園」には,
多数のイラン人たちが屯(たむろ)していて,薬物を密売していた。
そのイラン人たちが,いつの間にか,名古屋からも消え去った。

何故だか知らなかったが,
昨日の朝日新聞「GLOBE」をみると,
平田敦央氏(論説委員)の「あのイラン人たちはいま」と題する特集記事の中で,
その理由が説明されていた。
イラン・イラク戦争の終結後(昭和63年)から,
兵役を終えた多数の若者が,職を求めて,ビザなしで入国できる日本に渡航してきたことから,1991年,イラン人の入国者数がピークとなり,
代々木公園が「リトルテヘラン」と呼ばれるようになっていた。
そして,一時期,
彼らが,「犯罪の温床となった不法滞在者の蝟集(いしゅう)」といわれるようになったが,(「蝟」とは,ハリネズミのことで,その毛がたくさん集まって生えていることから言うらしい。),その後,バブル景気の崩壊と,日本政府が平成4年に,イランとのビザ免除協定を停止したことで,その年だけでも,イラン人1万5000人近くが強制退去を命じられ,イラン人の姿はあっという間に,日本から消えていったという。

平田氏の上記特集記事には,
数奇な運命をもった,イラン人の話がいくつか出てくる。
例えば,不法残留で逮捕された「ゲイ」が,祖国イランでは同性愛=死刑のため,
難民申請したが裁判では認められず,国連難民高等弁務官事務所の難民認定を受け,
スウェーデンに渡って,看護師になった,という話とか,祖国にもどったが日本での生活習慣がみについて,祖国の生活習慣になじめず,結局,オーストリアのウイーンに渡って,ハイヤー会社を経営するようになったイラン人の話とか。

が,日本人女性と結婚して,日本に定住するに至ったイラン人も少なくなかったようだ。
平田氏は,イラン人約10名に集まってもらって,取材した際,日本で差別を受けたか否かの議論になると,議論がにわかに熱を帯びたという。

 

実は,私もイラン人のSさんから医療事故の相談を受けた経験がある。
私自身は,「池田公園」等での経験から,当初イラン人に偏見をもっていたが,
Sさんにお会いしてから,私のイラン人に対する偏見は吹っ飛んだ。
彼は,有能なコンピュータ技師で,日本人女性と結婚し,真摯な紳士であった。

が,最愛の妻を「子宮外妊娠」で亡くされた直後だった。

その妻本人が妊娠を疑って,総合病院にて検査受診した際,産婦人科の担当医師は,子宮外妊娠の可能性に気づいた。翌朝,本人から腹痛を訴える電話が病院側にあり,午前11時に来院するよう指示があったが,その後,彼女は来院せず,このため,病院は何度も女性に電話したが通じなかった。同日午後1時,彼女から「腹痛で動けない」と電話あり,病院側が救急車を手配したが,彼女は,既に自宅で意識を失ってしまっており,まもなく出血性ショックで死亡されてしまった,という案件だった。

証拠保全した上で,いろいろ調べ,最後に知人の産婦人科医師計3名に相談したが,いずれの医師も,妊娠週数からして,子宮外妊娠を疑うのは困難とのことで,提訴には,消極的意見だった。イラン人のSさんと,彼女の父親から,「裁判で負けてもいいから,訴えてくれ。」と懇請されたが,敗訴が目に見えていたので,やはり固辞した。ただ,当時,私が調べた医学文献で,Sさんに役立ちそうなものを全てSさんにお渡しした。

その後,Sさんは,何と!,病院相手に,本人訴訟を起こしていた。
そのことが分かったのは,相談を受けてから2年近くが経過したころだったかと思うが,突如,Sさんから電話があり,「今裁判中だが,裁判官から,『損害の明細を明らかにせよ。』と指示されたので,損害の計算のやり方を教えて欲しい。」とのことであった。「北口先生が断るような案件なら,誰も引き受けないだろう・・・,と見越して,本人訴訟を起こした。」というのだから,なかなかの勘をもってみえる。電話を片手に,赤本を書棚から取り出し,電話口で,ザクッと,逸失利益,慰謝料等を計算してやって,損害論の主張方法を教示した。

それから数ヶ月後,タマゲタことが起きた。
Sさんと思しき患者遺族が,病院相手に医療裁判で勝訴した,という新聞記事がデカデカと出ているのを見つけてしまったからだ。まさか!!,と思った。ボクが断った案件で,法曹資格をもっていない当事者本人が,医療過誤訴訟で勝訴したとなれば,医療訴訟を手掛ける弁護士としては,面目丸潰れだし,立つ瀬がない。
正直ショックだった。

で,その後,私は,当時の名古屋地裁民事4部(医療訴訟集中部)の部長に尋ねた。
「この間,新聞に載っていた,患者側勝訴の医療裁判,って,本人訴訟ですよね。原告は,イラン人の方だったでしょう?,部長よく原告を勝たせましたね!」とやや嫌みったらしく(?)と話しかけてみると,部長曰く,「先生,よく御存知ね。でも,本人訴訟といっても,ソレなりの弁護士がバックについていたようでしたよ。」と。
(アノ部長が,患者側を勝たせるのは,なかなか珍しいと思いつつ,後でわかったことだが,この件は,実は,鑑定が行われており,産婦人科専門の大学教授が鑑定で,病院側の責任を認める趣旨の結論を出していたのだった。)

ところが,その後,
再び,Sさんから電話がかかってきた。
「名古屋高裁で,逆転負けしたので,最高裁に上告したい。
上告理由書の書き方について相談したい。」とのことであった。
「ああ,やっぱりな。」と思った。

さて,彼は今頃,どうされているだろうか。