北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

大分紀行 その3

このチャンスを逃すと,「子ども達は,もう家族旅行は難しい年頃だ」という思いから,
秋分の日(23日)を含む先日の連休を使って大分に出向いた。
最終的に日程が決まったのが,19日(木曜日)。

台風が近づいていたので,東京在住の長男の飛行機が欠便にならないか?
と懸念されたが,その場合は,新幹線を使ってでも合流するというので,
計画決行を決意した。

大分修習での活動拠点は,①下宿マンション,②T川法律事務所,③大分地裁・大分地検だったが,

頻繁に通ったのは,④有磯鮨と,⑤「きん・こん・かん」(オカマバー)。

そこで,前日金曜日(20日),
ますは,T川先生に電話した。
「突然ですが,大分行きの家族旅行を思い立ちまして,
 24日・火曜日,ご挨拶にうかがいたいのですが,お会いできますか。」,
「おう,いいよ。」,
「でも,オメェ,そんなヒマあるのか??」
「台風来るけど大丈夫かぁ?。」,
「嫁さんは元気か? まだ,別れていなかったのか。
 …オメェ,我慢強いノォ・・・」(だとぉ??)
等等,あの修習時代からの「毒舌」は,全く衰えていない。
(計算上76歳だが,お元気でホッとした。)

「有磯鮨の方はもう閉店したかもしれない」と思いつつも,スマホで検索すると,
まだ営業はしているようだ。
だが,有磯鮨に立ち寄れる時間は,計画上は,翌21日(土曜日)の昼しかない。
早速,電話してみると,大将のかみさんが出た。
「あのゥ,土曜日の昼ってやってますか?」,
「普段は閉店していますが,何名さんですか?」
「5名を予定していますが・・・,
 台風の関係で飛行機が欠便になると,一人は来れません。」
「予約をしていただければ,お店は開けますが・・・」
「じゃ,予約お願いします。」
「どちらさんですか?」
「約30年前,司法修習時代に御世話になった北口です。」
「アラー,弁護士さんでしょ。『烏賊(イカ)』がお好きでしたよねぇ・・・」
と言って,30年前のことを覚えてくれていた。
(実は,弁護士になってまもなくの時期に一回,有磯鮨に行っているが,
 それでも,約25年は経っている。
 あのときは,「きん・こん・かん」にも行ったが,
 『ママ(男)』が,再会を非常に喜んで,泣いてくれた。)。

有磯鮨は,同期の司法修習生4名が,
労働事件専門弁護士のS先生(故人)の講義を受けた後,
S先生が,皆を連れて行ってくださった鮨店だ。
たまたま,私の下宿先に近かったこともあるが,
この鮨の美味さに惚れ込んだ私は,裁判修習の間,
週に,何度も通いつめた。
鮨店といっても,値段はリーゾナブルだ。
当時の司法修習生は,裁判所・検察庁・弁護士会とこぞって非常に大事にされた。
毎月給料・諸手当がもらえた上,弁護修習のときは,
諸先生方が,「夜の修習」で,連日,御馳走してくれたので,
食費がうき,貯金が出来ていた。
そこで,私は,住居費以外の給与と,アルバイトで稼いだ貯金の殆どを,
有磯鮨と,「きん・こん・かん」につぎ込んだ。

有磯鮨の鮨は,魚の種類の豊富さ・美味さという点で,
絶品という形容が妥当する。
数日毎,否,日々,寿司種の魚が違っている。
たとえば,烏賊(いか)であっても,時が経ち,成長に従って,
微妙に味も変化していき,それぞれに味わいがある。
塩とカボスをかけていただくことで,至福のトキ(贅沢)が味わえた。

 

・・・てなことを思い出しながら,前記予約電話の翌日,
家族を連れて,いざ,有磯鮨へ。
(土地勘が完全に狂っており,子らのスマホのGPS機能のお陰で,
 なんとか行き着くことができた。)

大将も,鮨の味もまったく変わっていなかった。
それに,大将は,30年前のことをよく覚えてくれていた。
「毎日のように来てくれる,いいお客さんだなァ,・・・なんて思っていたら,
 『大将,実は,今度,大分を離れることになります。』って言うもんで,
 ちょっと,がっかりしまして,・・・」
などと,当時の私のことを家族に話していた。

(そろそろ,引退を考えているとのことなので,ブログ読者は,
 閉店させないよう,是非,有磯鮨に出掛けて欲しい。)

 

(大将が釣り上げた,ご自慢の黒鯛)

 

旅行の最終日,家族らは,先に小倉から,下関の水族館に出向いたようだが,
私は,T川法律事務所へ。
お城のぐるっと回って,いざ,T川法律事務所へ。

T川先生との思い出話は,尽きないし,
今回の旅行でも,いろいろお話を伺うことができた。
大分弁護士会の実情や,御世話になった先生方の近況もうかがった。
やれやれ,大分に来た目的は,概ね達することができた,という次第。

 

(下関の水族館)

 

つづく