北口雅章法律事務所

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今年最後の,父の命日

墓参りをした。

父亡き後は,永代供養を考えていたが,父が生前,相応寺(初代尾張藩主の母「お亀の方」の菩提寺)の前代住職から分譲していただいてあった墓地は,現地に出向くと,想像を絶するほど,分不相応の場所にあったので,この墓所の権利を放棄すれば罰があたると思い,墓石を建て,墓開きをした。

現住職の話では,父が購入してあった墓地の一区画は,もともとは,相応寺の歴代住職のお墓があった場所らしい。父の墓の左斜め前方にある,ひときわ立派なお墓は,初代尾張藩主・徳川義直公の異父兄にして,尾張藩家老竹腰正信公のお墓。

 

父の墓参りの後,尾張藩の歴代家老様方のお墓を参った。

そして,その後,
「河村市長の代行として」第7代尾張藩主・徳川宗春公のお墓(すぐ近く)にお参りし,
名古屋城天守閣の木造復元を祈った。
ちなみに,相応寺の現住職も木造復元に賛成とのこと。

徳川宗春公のお墓は,上掲・墓碑案内の左側(赤矢印のところ)に,

上掲・墓碑に撮された墓の写真の実物があります。

ちなみに,平和公園の敷地は,戦前はすべて相応寺の領地であったが,戦後の復興計画に際して,相応寺から各宗派の寺院に分譲されたため,相応寺関係者の墓地がもっとも,立地条件のいい高台にある。徳川宗春公のお墓を訪ねるには,平和公園の入口付近にある案内図で,相応寺の墓地群の西隣にある,建中寺の墓地付近に出向いていただけば,一番立派で「高い」お墓なので,一目で「ああ,あれだな。」と目星がつく。が,上記経緯から,初代尾張藩主の母君の菩提寺の方が「格上」の土地にあるんじゃい(なにせ徳川家は,儒教・儒学も重用していたからな)。

 

夜は,事務所の忘年会

(納屋橋から見た,堀川)