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円空仏(ENKU)入門1「矜羯羅童子の手」

[問] 下掲・円空仏矜羯羅童子)の手は,右手の「手のひら」をこちらに向けて手をふっているのか,それとも,手を合わせて向かって左方向に向けている(つまり,「左手の甲」が造形されている)のか。

[考察]
 なるほど,上掲写真を見ただけでは,右手だけをあげている(以下「右手説」)ともとれるし,合掌した手を挙げている(以下「合掌説」)ともとれる。
 素人的には,分かりづらいが,実は,プロの目にも分かりづらいとみえる。何故なら,上掲・円空仏は,周知のとおり清瀧寺(栃木県日光市)が所蔵する円空仏「不動産三尊像」の脇侍である「矜羯羅童子」の部分写真であるが,この像について,小島梯次先生(円空学会理事長)の著書「円空仏入門」にも,「矜羯羅童子は通常正面で合掌しているが,デフォルメされた右手だけを右上方へ上げているように見える。あるいは合掌して上げているのかもしれない。」(79頁)と書かれてるからだ。

 

 では,私は,どう考えるか? というと・・・,論理的には,「右手説」と「合掌説」と,あるいは,両方の意味合いを両義的にもたせたか(以下「両義説」)と三説が成り立つ。
 直観的には,「合掌説」をとりたい,という衝動にかられる。
 何故なら,①「右手説」を採用すると左手が彫刻されていないではないか?という疑問が生ずるし,②「合掌説」によれば,矜羯羅童子が顔だけ参拝者に向けて「あなたがたも私のように,本尊たる不動明王様に向かって手を合わせて,祈りなさい。」と語りかけている,といったユーモアにみちた像とも受け取れることになるからだ。
 が,残念ながら,「合掌説」はとれない(したがって,「両義説」もとれない。)。
 なぜなら,矜羯羅童子の全体写真をよく見ると,両足は正面を向いているので,左手を右斜め後方に向けようとすると,左肩を前方に突き出し,背中を正面に向けるような体勢をとることになるが,そのような姿勢に無理があるといわざるを得ない。
 次に,もし仮に,「合掌説」が前提とするとおり,円空が合掌を不動明王の鎮座まします右方向に向けた状態を念頭において彫刻したと仮定すれば,左手甲の裏側に右手甲と右手指も彫刻したはずである。ところが,小島先生が「合掌説」が成立する可能性を示唆するということは,矜羯羅童子の像の裏側を見ると,おそらく右手甲と右手指は彫刻されていないからであろう。したがって,「合掌説」はとれない。
 さらに身も蓋もない話であるが,実は,上掲矜羯羅童子と同様の姿勢で,右手の「手のひら」を上にあげるポーズのモチーフは,他の円空仏にも認められる。そう,例えば,岐阜県関市藤谷にある仁王像だ。
 以上の理由から,私は,上記「問」については,「右手説」が正しいと考える。