弁護士のブログBlog
円空作「袈裟山千光寺百歌」その6
- 2026-03-25
[19]こよひこん人ニハあわす七夕の
けさのおやまに待(まち)もこそすれ
[現代語訳]私は、今晩、訪れてくる「人」にはお会いしません。かつて素性法師が詠んだ、七夕の織り姫に憧れた女の女心のように。袈裟の御山にて、○○をお待ちしておりますが。
[本歌]こよひ来(こ)む 人には逢はじ たなばたの 久しきほどに あえもこそすれ(古今集・巻四秋・181・素性法師)
[本歌の現代語訳]今夜訪ねてくる人には逢うまい。あの人はまったく薄情なんだ。私は織姫のように、永遠につづく愛情にあやかりたいのだから。
[本歌の意訳]気まぐれに、時折、訪ねてくるだけの薄情な男には逢ってやらないわ。たとえ1年に一回しか逢えないにしても、特別の支障(雨)がない限り、必ず逢いにきてくれる彦星のような男の方が、私は、好きだ。私は、そのような七夕の織り姫に憧れる。
[解釈]織姫と彦星のように心変わり(心移り)しない恋に憧れ、それ以外の不安定な恋を拒絶する女心を詠んだ素性法師の、かの女心になぞられて、円空も、たまたま訪れてくるような人にはとり会わない、という修行没頭への決意を示すともに、ただし、その例外として袈裟の御山にて、めぐり逢えるものなら逢いたいものだ、と待っているもの(事)がある、と詠んでいる。それは何か。円空が「けさ(袈裟)」と詠まず、「袈裟の御山(おやま)」という丁寧語を用いていることに照らせば、御神体である御山にて、待ち望んでいるもの…、といえば、勿論、「神の降臨(又は恩寵)」(ポエティックに表現すれば、「夜空の星々が山に降りてくるかのような神秘体験(妙見信仰)」)であろう。
[20]君(きみ)忍ふ草やゝつるゝけさの山
松虫のねに心かけぬる
・「君忍ふ草」:「あなたを偲ぶ(慕う)」と、忍ぶ草(シダの一種)との掛詞
・「やや連る(やゝつるゝ)」:「少しずつ連なる」と「やつるる(窶[やつ]れる)」を掛ける。
・「松虫のね」:松虫の鳴き声
・「心かけぬる」:心を懸ける、心が引かれる
[現代語訳(逐語訳)]あなた(俊乗)を慕い偲ぶ、その「忍ぶ草」がわずかに連なって生えている今朝の袈裟山。そこで鳴く松虫の声に、すっかり心が惹かれたことよ。
[本歌]きみしのぶ 草にやつるる ふるさとは まつ虫の音(ね)ぞ かなしかりける(古今集200・よみ人しらず)
[本歌の現代語訳]あなたを偲ぶ思い出の地,(人の不在と時の流れの結果)この忍ぶ草が繁って荒れ果てた里に立つと、人待ち顔に鳴いている松虫の声に、やたら悲しみをさそわれる。
[解釈]円空は、あるとき、俊乗の訃報を知らされたのではないか。俊乗亡き後、荒れ果てた袈裟山千光寺と、本歌で詠まれた情景(人の不在と時の流れで、忍ぶ草が生い茂る荒れ地で、不在の人を待つような松虫の声が悲哀を誘う)とを重ね合わせ、松虫の声に聞き入るとともに(「心かけぬる」)、生前の俊乗との交流を想い起こして悲哀を覚えた(「かなしかりける」)という、センチメンタルな感傷を詠んだ歌と理解される。
[21]心かけあらぬ物からはつかりの
けさなくこゑのめつらしきかな
・「心かけ」:心にかけること、気にかけること、
・「あらぬ物から」:ないのだけれど(逆接の接続助詞「ものから」)
・「はつかり」:初雁。秋に最初に渡ってくる雁
・「けさなく声」:今朝鳴く声
・「めづらしきかな」:稀に出会って、新鮮な喜びを感じる意
[現代語訳]
心にかけていたわけではないのだが、今朝、この袈裟山で初雁が鳴く声を耳にした。なんとも心惹かれる声であることよ。
[本歌]
待つ人に あらぬものから はつかりの 今朝(けさ)鳴く声の めづらしきかな
(古今集206・在原元方)
[本歌の現代語訳]
待つ人からの消息を伝えてくれたわけではないけれど、今朝鳴いた初雁は、なんとも心ひかれる声であった。
[評釈]
冒頭の「待つ人に」(本歌)を「心かけ」(新歌)に置き換えている外は、円空にはめずらしく、本歌のままであって、単なる「本歌のパクリ」であるかのように見えなくもない。しかし、この歌で重要なのは、一つ前の[20]の歌との関係性であるように思われる。すなわち、本歌の「今朝」は、本歌集の趣旨からは、袈裟山との掛詞ということになるが、[20]の内容に照らせば、このとき既に俊乗は他界していたと考えられるので「(現世で)待つ人」ではない。そこで、抽象的に「(俊乗のことを、常に)心にかけていたわけではない」として、本歌を読み替えることになる。その上で、[20]においては、「松虫の声」(地面)から俊乗を想い起こしたのに対し、[21]では、「初雁の声」(空)から俊乗を想い起こしたというのであって、好対照となっている。いかに円空が俊乗の死を悼んでいたかを窺わせる構成になっている。
[22]うき事を思ひつゝねのけさのかり
鳴こそ渡(わた)れ秋のよなよな
・「うき事(憂きこと)」:つらく悲しいこと。
・「思ひつゝねの」: 「思いつつ(思い続けながら)」と、「常の」が掛けられている。
・「けさの」:「夜な夜な」と矛盾することから「今朝」の意はなく、「袈裟山の」の意であろう
・「かり(雁)」: 秋に飛来する渡り鳥。
・「鳴こそ渡れ(鳴きこそわたれ)」: 鳴きながら空を渡っていくことよ(「こそ」は強調)。
・「秋のよなよな(秋の夜な夜な)」: 秋の毎晩。
[現代語訳]
つらく悲しい現世の苦しみを、常に思い続ける袈裟山の雁。それは私のことだ。秋の夜な夜な、悲しげに鳴きながら空を渡り続ける雁のように、私も同じ思い(悲しみを堪えて)で修行をしているのだ。
[本歌]
憂(う)きことを 思ひつらねて かりがねの 鳴きこそわたれ 秋の夜な夜な
(古今集213・大河内躬恒(おおこうちのみつね))
[現代語訳]
憂鬱なことを一つ一つ思い連ねて、雁は泣きながら、秋の夜空をわたってゆく 毎夜毎夜。
[解釈]
本歌では、「思ひつらねて」の語に、悲しみを連ねる心象と、列をなして飛ぶ雁の視覚的な印象とが結合して、作者(大河内躬恒)の悲しさを雁に感情移入して詠んだ歌とされている(奥村恆哉・新潮日本古典)。これに対し、円空の新歌の場合、「思ひつゝねの」という語には、「列をなして飛ぶ雁の視覚的な印象」が取り払われており、それに替えて、「思いつつ」と「つね(常)」が折り重なって、「うき事(憂きこと)」常態化が強調されている。そして、秋の夜、毎夜毎夜、鳴きながら空をわたっていく雁に、円空が自分を重ね合わせ、感情移入しているように読める。
この歌の意味するところは何か。[20]の松虫の声(地面)が、[21]の「初雁の声」(空)へと、俊乗の哀悼を想起させる対象が「空間的に移動」したのに対し、[22]では、[21]の「初雁」(秋に最初に渡ってくる雁)から、「秋のよなよな」渡ってくる「雁」に遷り変わることで、「時間的な幅」を持った持続性の対象へと拡張・変貌させていることを企図した配列になっているように見受けられる。